私の黒い備忘録

私の真っ黒で、とても人には自慢できない、最低な人生を綴った日記

私の幼少期①

私は外資系企業に勤めるバリバリのキャリアウーマンである母と、某不動産会社で営業をしている父のもとに生まれました。

 

母は有名企業の中でも若くして花形の部署で活躍し、年収は1000万を超えるパーフェクトウーマンです。

生まれは京都の名家で、私の母方の祖母は茶道の有名流派でも上の方にいる人でした。

そんなお嬢様育ちながら、京都の超お嬢様学校を卒業し、有名大学に進学し、就職氷河期ながらサクッと内定を貰えるような。

 

母はそんな完璧な経歴をもつ自分をとても誇りに思っているような人でした。

低学歴と言われる人間をよく馬鹿にしていました。

そして、幼い頃から私と弟にも、自分と同じ人生を歩むように求めました。

 

幼少期から名門校に受かるべく、たくさんの習い事と塾をかけ持ちさせられました。

 

今でもはっきりと覚えていることがあります。

弟を妊娠したと分かった母は、育休をとるかとらないか、父と真面目な顔で話していました。

 

当時私は幼稚園に入ったばかりで、ほとんど話の内容もわからなかったのですが、何故かその光景だけは鮮やかに覚えているのです。

 

ちなみに、私の時は産休だけで育休はとっていませんでしたが、手のかかる子供が2人に増えたのだから、さすがに今回は育休をとらなければ不味いだろうと父が言いました。

 

すると、母はこう言いました。「今、ちょうど昇進に繋がる大事なプロジェクトがあるから、弟が生まれたら私を祖母に預けよう」と。

 

あとはもう覚えていません。

しかし実際、私は幼稚園の3年間を祖母の元、京都で育ったのですから、父も反対しなかったのでしょう。

 

それが、私が覚えている、1番古い母の記憶です。