私の黒い備忘録

私の真っ黒で、とても人には自慢できない、最低な人生を綴った日記

私の幼少期②

祖母に預けられていた3年は軽い地獄でした。

とても躾に厳しく、大和撫子と亭主関白を絵に描いたような祖父母のもと、私は涙を堪えて過ごしました。

たとえば、食事中に肘をつくとリモコンで肘をはたかれました。

たとえば、お箸の持ち方が汚いと何時間でもネチネチ言われました。

たとえば、食前にお菓子を食べると二度とお菓子を買ってもらえませんでした。

しかし、祖父母は厳しいだけではなく、優しさを併せ持ついい人でした。

祖父は寡黙でしたから分かりにくかったけれど、雷が怖くて泣いていたら、無言で煎茶を出してくれるような。

祖母はいつも笑顔で、私のマナーに怒る祖父をまあまあと宥め、泣いている私にそっとハンカチを差し出すような。 

 

お陰で今でも私は所作が美しいと褒められるのですから、三つ子の魂百までとは言いますが、幼少期のしつけが良かったんだなあと今でも思ったりします。

 

幼稚園では友達もでき、最初は怖いばかりだった祖父母にもだんだん打ち解け始めた年長の時のこと。

 

父母が小学校からは流石に自分たちの元で育てたいと祖父母に言ったそうです。

 

少し寂しそうにはされましたが、子供は父母の元で育つのが一番いいと祖父が頷き、私は東京の両親の元へ帰りました。

 

今から考えれば、それは祖父のひどいミスだったのでした。